クリスマスより父の日のが辛いタイプのぼっちの思うこと
クリスマスになると陰キャどもの聞いてもいないし面白くもない自虐がわらわら湧くけど
真の陰キャ的には母の日、父の日の方が辛くね?w
って話。
クリスマスは、友達とかバイトとかで楽しい思い出あったし
クリスマスではないが異性と二人で出かけたことも一応あるしw
そもそも年末は楽しいことが多くて何もクリスマスだけにこだわることもないと思ってるけど(平日でどうしても都合つかないことも多いし)
家族団らんの思い出については私には全くないしどうしようもない
ここに関してだけ言えば、お酒が飲める年齢の自分よりその辺のちびっ子のが経験豊富っていうw
ここからは自分の親子関係の話になる
6月に限らず、ここ数年何かされたげな父(ちなみにうちは母親は離婚して今はいない)に望み通り家族ごっこを提供してやってもいいけど
今まで子供や家族との交流を拒絶してきて(だから母親も他の男のところに行ったわけで)、
今更かまってちゃんになられても、
今更なんだという心情と、それ以上にやり方がわからなくて困っている。
何が好きか、どんなものが欲しいかが分からない。し、歩み寄る労力を割く気にもあまりなれない。
まあ、家族団らんそのものがやりたきゃ自分で家族つくったり何か別のところで疑似的に体験したり、
それこそうちの親子関係を今からでも深めていったり(なぜ子供からリードしなきゃいけないんだとは思うが)
いろいろ方法はとれるとは思ってる。
空虚な気になっているといえど、自分の感情を他人にどうにかしてもらおうと胡坐かいてる人間は好きじゃない。
「自分の感情を他人にどうにかしてもらおうと胡坐かいてる人間」、うちは多分両親ともそうだった。
母も父も、仕事ぶりは真面目だった。ただ、性格は真面目ではない気がする。
仕事ぶりが真面目なのは怒られたくないから。偉い人に認められて気持ちよくなりたいから。何をするにも先生の存在を意識する小学生と同じメンタリティだと思う。
そして価値観もその時のままなんだと思う。いい子にしていたご褒美に何かしてもらうという、報酬の貰い方について受け身な考え方をしているんだと思う。
父は、自分の要望を他人に言えない人だ。それは優しさからではなく、嫌われたくないという自己保身から。
ちなみに、気に障ることがあってもそのことを口で伝えることはなく、でも我慢をしきれるわけでないから、それが暴力となって表に出るタイプでもあった。
自分から要求をいうというのは、彼からしたらとても卑しく嫌われるに値する行為なんだと思う。
だから、何かを貰ったりしてもらうときは必ず相手の行動をじっと待っていた。
または、暴れたり自分を壊したりしてこちらが何かせざるを得ない状況を作っていた。
母についても父とほぼ同じである。
違いといえば、暴力ではなくヒステリックを急に起こすことくらいか。その起こし方とか考え方のメカニズムはほぼ一緒だと思う。
ただ、私が父に感じる印象は口下手だが我慢強い(まあすぐ殴るわけだが^^;)昭和の男というイメージだが、母に対しては王子様を夢見る内気な乙女という印象だ。
この違いは性別の違い以外にも要因があるのだろうか。
「あなたに尽くすから私を愛して」という考えが強くて、相手のナンバーワンかつオンリーワンでありたいという下心があからさますぎる感じがある。古い少女漫画の読みすぎ。
でも現実はそんなものにはなかなかなれないし、仮になれたところで本人が満足いく愛情表現をする、できる男もそうそういないだろう。
まあ、そういう考えが別に悪いこととも思ってないけど。私は。*1
この辺はまたいつか改めて書くかもしれない。恋愛や性差ネタは需要が高そうだし。
あと、あくまでうちの両親がこうってだけで、男や女全体がこうであると言いたいわけじゃないからね。
私は、先述のとおり自分の感情を他人にどうにかしてもらおうと胡坐かいてる人間は好きじゃないわけで、
自分の感情については自分にしか分からないと思っている*2から、こうして今の自分の気持ちを整理してみた。
これからどうしたい、っていうのはまだ分からない。
毎年、五月と六月のある日曜日になると、近所の店やSNSに微笑ましい話題があふれて、
微笑ましいんだけど少しだけ空しくなって、
じゃあ自分の親を責めたいのか、というとそういう時期ももう終わってて、
空しいなりにその埋め方はいくつも思いつくけど
じゃあどうしたいかってのはまだ分からない。
毎年SNSにあがる手作りちらし寿司と家族の写真が羨ましくて今年はスーパーの寿司を食べた。美味しかった。
それでも来年空しくなるようなら手作りをしてみる。友達を誘ってもいいかも。
それでも空しいなら異性、恋人、配偶者、家族とどんどん試してみればいいと思ってる。
相手がいないならその時に対応策を考えればいい。
親子に限らず、対人関係の悩みって、
いくら自分が悪くなかろうと、自分が何か行動しないと何も変わらないと思っていた方がいいと思ってる。
報われなくてもその経験が蓄積されて次に生きると思うし。
逆に、相手や第三者に解決してもらうのは、その時はいいかもしれないけど次に他の困難に直面した時にどうもできないと困る。
なんかどういう文章にしたかったかちぐはぐになってしまった。
ネットのいろんなところで恋愛ネタでカッカしている人を見かけるけど、
異性や恋愛よりも別の悩みのがデカいってタイプの人間もいるし、
人から愛されたいという自分の感情の責任を異性に負わせるのも違う気がして書いた。
父の日云々についても、別に不幸マウントや恋愛経験ゼロじゃないマウントをしたかったわけでなく*3
私のような考え方もあるから、クリぼっち=悪という価値観にとらわれるのは違うということを伝えたかった。
クリスマス自虐くんちゃんについては、まあ本人同士は面白がってやってるし真面目なコメントする方が空気読めてないんだろうけど、
よさげな異性がいても家族関係からくる空しさからすぐ距離を空けてしまったり
異性といることよりも日頃の話題にナチュラルに家族が登場することのが羨ましいと感じている人もいるぞという気持ちで、青いなあと笑っている。
隣の芝は青いってやつ(青いで掛けたわけではない)。
何度も言うけど不幸マウントじゃないからな。そんなことし始めたら、どこかにいるであろう家族も友人もろくにいないという人に何も言えなくなる。
というか日本人はネガティブなこと何も語れなくなる。
だから不幸マウントはこの世で何も生産性がないことの一つだとは思っている。
そもそも人によって不幸の捉え方や感じ方が変わるから、不幸度合いの比較とか無意味と思っている。
そういや、過去に親子ネタでこんなの書いてた(投稿は確か前日)ので
親子関係で悩んでる人は読んでみてもいいかもしれない?
映画『シックス・センス』のオチでなく内容を語りたい ~親がすべきこととは~
ふと、昔なんとなく観た映画を改めて観てみようと思い、映画『シックス・センス』を借りた。
(解説)死者の姿が見える少年と彼を担当する小児精神科医の交流を衝撃的な展開で描き、M・ナイト・シャマラン監督の出世作となったサスペンススリラー。これまで多くの子どもたちを救ってきた小児精神科医マルコム。ある夜、10年前に担当した患者ビンセントがマルコムの自宅を襲撃し、彼を銃撃した後に自ら命を絶つ。完治したはずのビンセントを救えなかったことは、マルコムの心に大きな影を落とした。1年後、マルコムは8歳の少年コールのカウンセリングを担当することに。コールは誰にも言えない秘密を抱えており、周囲に心を閉ざしていた。2人は交流を続けるうちに心を通わせていき、ついにコールはマルコムに秘密を打ち明ける。なんとコールは、死者の姿が見えるというのだった。精神科医マルコムをブルース・ウィリスが演じ、少年コール役を務めたハーレイ・ジョエル・オスメントはアカデミー助演男優賞にノミネートされ、天才子役として名をはせた。
(映画.comより)
この映画、オチとかネタバレとか衝撃の結末ばかり話題にされるけど、
その辺は知ってたしそんなに意識せずに観たら精神科医マルコムと幽霊が見えてしまい悩む少年コールのヒューマンドラマとしてもいい話で感動した。
コンビものって言うのかな、歳とか経歴とかが全く違う二人の交流と成長を描いた話って個人的にめっちゃツボ。
有名所だけでもターミネーター2とかレオンとか挙げればきりない。
やっぱどんな物語でも過去やトラウマや受け入れがたい現実を乗り越える姿ってかっこいい。
以下、自分が思ったことを作品の内容に踏み込んで書くので、もしまだ観てなくて気になる人は観てみて下さい。
衝撃の結末で有名になるだけあるラストだと思うし。
……超ド級の有名作でこんな但書するの恥ずかしいにゃん。
私は幽霊を「時が止まっている人」「停滞している人」だと捉えている節がある。
未練があって現世に留まっている点からそう思う。
そして生きている人についても幽霊のように感じるときがある(霊感的な意味ではなく文脈的な意味で)。
よく目標や生き甲斐がないor無くしてしまいぼんやり生きている人のことを「まるで死んでいるor死人のようだ」とか「死んでいないだけで生きていない」とか表現されていることがあるけど、その感覚と同じだと思う。
この作品では停滞している人ばかりだった。
精神科医マルコム。ある事実を受け入れられていないだけでなく、ある患者を救えなかったという過去に囚われている。
少年コール。霊が見えるために現実を恐れ直視できないでいる。周りともうまく行かない。
コールの母。シングルマザーとして息子のコールに接するも、なかなかの問題児のため家庭もややギスギス。
あとはマルコムの婚約者もそうかな。
そして彼らがその停滞をどう脱せたかがこの作品の見どころの一つな訳だが、
それを一言で表すなら「きちんと現実と向き合った」こと……こう言葉にするとなんか説教臭くなってしまった。
でも作中で提示される幽霊のルールの一つに「彼らは見たいものしか見ない」とあったし、割と意図的にそういう造りになっていると思う。
マルコムはかつての患者にもう一度向き合い理解したことで、コールとも向き合うことができ、結果患者に未練があった自分も救うことができた。
コールはマルコムと一緒にとある幽霊と向きあうことで自分の能力を受け入れられた。
そしてそんなコールがマルコムにアドバイスし、マルコムのもう一つの問題も解決していった。
片方の成長がもう片方の成長に繋がる……
本当にいいコンビ、いい物語だと思った。
そしてコールの母親。
コールの母親も、コールが祖母のエピソードと共に自身の能力を告白したことで、コールを理解し受け止めることができた。
そして私が感じたこと。
それは「現実と向き合うことというのは、すなわち相手を理解し受け入れること」なんじゃないかな、ということ。
そう感じたきっかけはコールの母親についてである。
こいつだけ何もしてねぇ癖にハッピーエンド面していやがる🤔
いや確かに必死に子供と向き合おうとはしていたんだけど、結果に繋がるほど効果があった行動はなかったように記憶している。
終盤、他所で少し成長してきたコールくんの霊感カウンセリングを受けて抱きしめただけ。
大人であり親であるはずなのに、子供に何かするどころか、むしろトラウマを救ってもらうだなんて!とそのシーンだけ切り抜いて見たら間抜けに見えなくもない。
コールも変に大人びていて(賢いそうだし実際8歳にしては使う言葉が小難しい)、恐らく周りの顔色を伺う癖のある(そしてその読心も的確で、敢えて嫌がらせをするときもある)、それこそ奇妙だとか怪物だとか思われかねない、普通ではない子供である。
ここ、子役の演技もほんと絶妙で、孤独に苦しむ子供とも理解しがたいモンスターとも感じられた。
そら普通の母親の手に余るわ。子育てしたことないから知らんけど、絶対自分も面倒見きれんわ。
そんなハイスペック(?)な子供だけど、その子のために親としてできること、すべきことというのが、ただコールをありのまま理解し受け止めることだったんだと思う。
コールの抱えていた問題は霊が見えること。
その問題を解決するには、霊を追い払ったり見えなくさせたりできたらよかったけど、そんなことできない。
結局、幽霊周りの問題はコールが(マルコムと仲良くなること含め)ほぼ自力で解決した。
母親がしたことはただ抱きしめた、理解し受け止めた。
具体的な解決策はとれなくとも、親としてそうするだけで百点なんだと思う。親になったことないから知らんけど。
最近は妙に親に完璧さを求める風潮があって、
少しでも欠点があれば毒親なり親ガチャ外れなり言われがちだけどさ。
親も人間。どうしても欠点はあると思う。
※もちろん、本当に問題のある親子関係はあるけどそれは今回の趣旨とは逸れるのでカット
親は最低限子供のことを受け止めてさえいれば、子供は勝手に成長していくんじゃないかな。
なんか、下書きのまま記事を温めているうちにブルースウィルスが俳優を引退してしまっていた。
お疲れさまでした。
私は映画をこう観ている
映画(やいろんな媒体の作品)の感想文みたいな記事を今後書きたいと思ったので、作品鑑賞の際の自分の視点を書いておこうと思った。
私は自分に無いものを知りたくて映画を観ている。
自分に無いものというのは、知識というよりも他人の価値観や人生観であることが多い。
早い話が『他者』と精神的に触れあいたい。理解したい。
自分がもう持っているものを見せられてもそんなに興味がわかないし、刺激がない。
分かりきった内容の説教は辛いもの。
……話が終わってしまったので、少し関連してエッセイのようなものを書く。
どうやら今のオタクに好まれる作品の傾向が自分のと合わない。
最近は「予想通り」な作品が好まれる傾向にあると思う。
例えば漫画原作でストーリーを既に知っているアニメや映画。作品タイトルが話のあらすじになっているタイプのもの。お約束が満載なベタな展開、またはジャンルもの。昔流行った作品のリブートも多い。
自分の想像の範疇から逸脱しないような作品は、確かにお約束を楽しむ面白さもある。ゾンビやホラーは自分も好きです、とても笑
でも、それ以上に作品から自分に無いものを見出だして内面に取り込めたときの方が気持ちいいから、
同じように感じる人ももう少し増えてくれたらなあとか少し思う。
「俺はベタな作品が好きなんだ!!!」という人がいるならそれはそれで尊重します。
個人的に思うのは、触れてみていいなと思う意見というのは、自分と同じ意見ではなく、その人が心の底からそう思っているっていうのが伝わる意見である。
あまりにも独善的であったり、私の存在ごとこの意見を肯定して!感バリバリだとキツいけど^^;
そんな感じ。
ジャンル映画についてややdisり気味な文脈だけど、ジャンルものほんと好き。
ジャンルというフォーマットがあるからこそ、作品ごとの個性も強調される……シャリとネタから成る寿司みたいな感じ!
奇抜な服を着て個性をアピールするのではなく、制服を自己流にアレンジして個性をアピールする楽しさに通じる。と思う。
ジャンル記事も書いてみたいけど、書けるほど詳しいジャンルがない。
いつか書けたらいいなあ。